自分の手をみると最近思う。
歳をとったなあ・・・。たいして水仕事もしていないし家事もさぼりっぱなしのダメ女房だというのに、なぜか子供の頃のようなみずみずしさはもはや微塵もない。
できることならもう一度赤ちゃんみたいなぷよぷよの“おてて”に戻りたいもんだ。そう思って輸入モノのハンドクリームをせっせと塗りこんでも、なんだかとっても姑息的?
根本的にはあんまり変わった気がしない。
手はヒトの体のうち最も頻繁に使われるパーツである。ごはんを食べるにも字を書くのにも、ちょっとそこいらの物を取ろうとするだけでも手を使わずには済まされない。わたしたちの生活のなかで丸一日、外出せず歩かない足を使わない日はあっても手を使わない日はないはずだ。つまりそのくらい日常から手は酷使されているというわけだ。
いろいろなものに触れてたくさんの刺激を受けるほど、手のヒフはくたびれてくる。これはまぎれもない事実であり、しかたない。
“手はそのひとの年輪”という意見もある。たしかにそれも言えるようで、くしゃくしゃになった老婆の手を見ると、
「ああ、おばあちゃんはよく働いたんだね。ごくろうだったね」
と涙ぐましく感じることさえある。
突然だが、わたしの好きな日本人女性ジャズダンサーのはなし。
彼女は今年44歳。もうすっかりベテランで多くの教え子をも輩出してきたし、たくさんの作品も作り上げた。なおかつ本人も未だ現役で踊り続けてもいるところがまたパワフルである。
彼女の踊りはとても情感に溢れていて、格好重視の流行モノなどとは程遠い。かといってクラシカルな伝統だけを守り続けるような意固地さはかけらもなく、なんというか彼女の時間のなかで繰り広げられる世界である。彼女が踊り始めると、そこだけが現実とは違う空間になる、そんな感じかするのだ。おそらくバレエでも日舞でも名舞踏家とはそういうものなのではないだろうか?
彼女はとくに手の表現が美しい。しなやかな指の動きには誰もが注目するだろう。現にわたしもそうだった。
ある日、彼女と二人で話しをしていたとき、わたしはふとその手に目をやった。そして言葉も出ないくらいに驚いた。
そこにあったのは、それまで勝手に思い込んでいた“美しい”という形容詞からは程遠い“ただの中年女性の手”だったからだ。とても長いに違いないと信じていた指はずんぐりと短く、つめだって伸ばしていないどころか整えてすらいない。指先はささくれだっているし全体的に小さな丸っこい手で、お世辞にも美しいとは呼べない代物だった。
そう、それは彼女の踊る姿からわたしが作り出した妄想にすぎなかったのである。
ある種のショックを憶えつつ同時にあらためて知ったのは、ひとは立ち居振る舞いに感情を込めることで他人に妄想までをも起こさせてしまう、という事実だ。どんなにふつうの指先でも美しく舞うことによってしなやかに見えたように、きっと背丈の高低もバストの大小も関係なく見せることができるはずだ。
他人はそのひとのフォルムだけを見ているわけではない。動きから振る舞い、にじみ出る情感など、あらゆるものを統合して感じ取るものなのだ。
外見重視の現代社会、若い女の子の手を羨ましいと思い、自分もついつい表面の手入れにばかり気を取られがちだったけれど、ふと大事なものを思い出させてくれた。そんな出来事だった。
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