2002.9.11号



 
 本当にあった、かなりいい話

 とある八月の暑い夜、JR横浜駅での出来事。
その日は日曜ということもあって、駅はさほど混雑もしていなかった。そんな中、ひとりの酒に酔った女性がふらふらとホームを歩いてきた。そうとう足にきていたのだろう、彼女は見事な千鳥足。
「危なっかしいなぁ」誰もがそう思いながら彼女を遠巻きに眺めていた。
 その瞬間。周囲が、あっ!と声を出す間もなく、その女性は線路に転げ落ちてしまったのだ。もうじき電車が入ってくる時間、あたりの空気に緊張が走る。ところが彼女はかなりの泥酔状態、線路に横たわったまま意識も朦朧として起き上がろうとしない。すぐそばにいた男性が、みかねて線路に飛び降りた。そして彼女を抱え上げようと手をかけたが、酔っている人間というのは身体がぐにゃぐにゃで思うように持ち上げられない。四苦八苦するものの二人とも崩れ落ち、線路に転げ出される格好に。
「このままでは二人が危ない!大事故が起きてしまう・・・助けなくっちゃ、でもどうすれば?」人々は皆、凍りついた。
 そのときである。ホームのはるか遠くの方から、ひとりの若い青年がすごいスピードで駆けて来た。そして一瞬の躊躇もなく線路に飛び降りると、女性の脇と膝の後ろを抱え、要領よく軽々と彼女をホームに救い上げたのだ。続いて先の男性も自力で這い上がり、それを見て青年もホームに戻った。折りしも「@番線に列車が参ります、白線の内側に下がって・・・」のアナウンス。この間、わずかに二十秒足らずだったという。
 結局この女性は九死に一生、無事助け上げられ大事故は免れたので、幸い新聞沙汰にもならずに済んだ。そしてこの出来事も公に知られることはなかった。
 実はこの若い青年、彼はわたしのよく知るベトナム人なのである。ホーチミンから日本にダンス留学をしている男の子だ。彼はこのときの様子を、いとも淡々と笑顔で話す。
ちょっとのタイミングのずれでもあれば自分も巻き添えで電車にひかれていたかもしれないというのに、そんな恐怖は微塵も感じさせない。それに加えて、「オレは人助けをしてやったんだぞ」といったようなおごりもまったくない。
「たまたま学校でレスキュー法を習ったことがあったんだ」
彼にとっては、あの場所であの行動を取るのが、当然で自然のことだったかのごとく振舞っている。
 
以前、東京のJR大久保駅でも似たような事故があった。覚えているかたも多いだろう。同じように線路に落ちた人を助けるため二人の男性が線路に降り、悲劇的にも命を落とされた。このときのふたりは、ひとりがカメラマンの男性、そしてもうひとりが韓国からの留学生だった。
 今回のベトナム人留学生の彼にしても、JR大久保駅の韓国人男性にしても、アジアの国々には“人を助けよう”という気持ちが強く残っているように思える。自分の国ならともかく、家族や友人ならともかく、まったく見ず知らずの外国人(日本人)のために彼らは生命の危険を冒すことができるのだ。
 毎日のラッシュアワー。空いている席を狙い合い、我先にと電車に乗り込む。肩があたった、足を踏んだといっては小競り合いを繰り返す。今回の出来事には、そんなわたしたち日本人が無くしてしまった大切な何かを教えられたような気がする。
プロフィール
おおたわ史絵
内科医、執筆家。
現代人の心理を辛口に分析。
その医者らしからぬルックスも魅力のひとつ。
雑誌 ef NOVARK おとなぴあ など連載中
5/23 リニューアルスタートしたweb Tarzan(マガジンハウス)http://tarzan.magazine.co.jp/ にて新連載開始。みなさんのココロとカラダの質 問にお答えしています。随時更新。
 

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