2005.11.9号




 第十六話 鮪(まぐろ)

 鮪といえば、いわずもがな、江戸前寿司の主役。鮪を抜きに寿司を語ることはできません。多くの寿司好きが、寿司屋を訪れたときに、必ず考えるのは、どの時点で鮪を頼もうかということ。最初にガツンとやるか、クライマックスにぶつけるか、赤身とトロをばらすか、続けるか…、楽しい悩みはつきません。それは高級品ゆえの悩みではありますが、それ以上に、鮪自身の持つ力のなせるわざなのでしょう。同時に握り手の多くは極上の鮪を仕入れることに心血を注ぎ、さらにそれを最高の状態で供するために、技を尽くします。握る側と食べる側、それほどまでに情熱を注ぐに値する鮪という魚。秋の訪れが遅い今年ですが、それでも水温が下がるとともに、脂がのり、旨みを増してきました。年末に向け、一層、高値の華となる鮪の魅力を解剖し、堪能し尽くそうというのが、今回のテーマ。魚&肴、始まって以来の贅沢な試みです。
寿司幸本店



大間産の極上鮪

 銀座寿司幸本店のカウンターを囲んで固唾を呑む“観客(私)”の前で、薄紙にくるまれた鮪の塊が登場しました。上には「大間産179kg 丸抜」と書かれた1枚の紙片が鎮座。水戸黄門の葵の御紋か、はたまたダイヤモンドの鑑定書か、泣く子もだまる、大間ブランドの証です。今や、寿司通であろうとなかろうと、誰もが知る鮪の名産地。ブランドとして最大級の付加価値を持った水揚げ漁港の名前です。回遊魚である本鮪は、台湾周辺で産卵した後、日本近海を日本列島に沿うようなかたちで餌となる秋刀魚や鰯、烏賊(いか)などを追って成長しながら北上していきます。秋も深まる頃になると、しっかりと脂を蓄えた鮪がちょうど青森・大間のあたりを通過するのです。それを1本釣りにて釣り上げるのが大間の鮪。網で大量に捕獲するのとは異なり、ダメージが少なく、旨みが最大限に生かされます。それゆえのブランド価値なのです。
普段は、お寿司屋さんに行ったところで、さくどりする手前の段階のブロックにお目にかかれるのがせいぜいです。そこで、「なるべく原型に近い形で鮪を見てもらい、さまざまな部位を食べ尽くしてもらいたい」と杉山さん。そのために「1週間前から鮪屋の社長にプレッシャーをかけて、最高のを持ってきてもらったんです」と、胸を張ります。


鮪の中でもおいしい部位、腹上とかま

薄紙の中から現れた勇姿は、鮪の部位の中でも一番高価とされる腹上の部分です。つまり、鮪の腹側の方の身で、かまに続く部位です。かまより下の鮪の身は、カミ、ナカ、シモと3つに分けられるのですが、上にいくほど、脂がのっていて、高級とされます。
肉質が緻密でずしりと重く、大人2人で持ち上げるのも大変。裏から見ると、白く光る表皮がよく見えます。写真では右側の暗褐色の部分が血合い。本来その外側に背骨がついています。写真奥がかまの部分。左手で持っているのがエラです。表面に見える白い膜に守られ、その内側には本来内臓が位置します。
下の写真が、それらの身の部分をきれいに切り落とした骨。頭から尾まで、つなぎ合わせると見事。こんなにデカイ!のです。
さて、いつになく力の入った、そして長いプロローグでしたが、いよいよ、待ちに待った、鮪の宴の始まりです。「鮪の身質はヘモグロビンが多く、血っぽいのが特徴。ということはつまり、タンニンとの相性がよい。だから一番合うのは上がり、つまりお茶。でも、タンニンということで、赤ワインとの相性も非常に自然です」と杉山さん。ただし、最初の二品は脂の少ない部位から始めるので、敢えて白ワインを合わせてみましたとも。ワインとのマリアージュも必見です。




ねっとり濃厚。旨み分が強い、中落ちの刺身
一品目は、中落ちの刺身です。実は、今回、一番の発見となったのが、この品でした。「中落ち」という部位は、骨のまわりから、かきとった身のことです。スーパーマーケットで、一般に中落ちとして売られているものはかまやひれのまわりに残った身を集めた、本来は「すき身」と呼ばれるもの。それが、商品用語としては「中落ち」で定着しているというのが現状。本来の中落ちは脂分のないしっとりとした赤身なのです。
背骨の部分には、骨と骨の軟骨の間に、まだびっしりと赤身の肉がついています。これを丁寧に1枚ずつ、スプーンでかきとったものが中落ちなのです。そして中落ちにも中骨のごく近く髄のくぼみにあるものをぐりっとかきとったものと、軟骨の上にびっしりついている肉を、長く、ぺろんとかきとったものと2種類あります。最初の一皿はその2種を盛り合わせたものですが、左側が髄に近いぐりぐりの方。あでやかな赤色がきれいです。わさびとほんの少し醤油をつけて食べるとおいしいこと! ねっとりとなめらかな質感の中の、わずかに酸味を伴った強い旨みは、驚くほどです。2つを比べてみると、髄に近いぐりぐりの部分の方が、さらに旨みが勝るようです。途中で、普通の赤身をいただいて食べ比べたのですが、赤身はさくさくと歯応えがよく、中落ちの身がしっとりと緻密な質感であることがよくわかりました。

至福の一杯を選ぶなら…


極上のまかない料理、血合いの竜田揚げ
二品目はこちらの竜田揚げ。大きなコロから、さくどりしていくためには、まずは血合いの部分を切り取ります。通常、血合いはお客様に出されることはありません。ただ、鉄分が非常に多く、栄養もたっぷり。捨ててしまうにはもったいない。まかないではよくこうして竜田揚げや味噌煮込みなどにするのだとか。ここでは、竜田揚げを教えていただきました。醤油:煮切り酒:みりん=2:3:1で合わせた中にしょうがのすりおろしと一味唐辛子少々を加え、小さめのひと口大のそぎ切りにした血合いを15分ほど漬け込みます。汁気をきって片栗粉をふり、油でからりと揚げればできあがり。熱々を頬張れば、ほのかな甘みの中にジュワッと濃厚な旨みが広がり、庶民の味というにはあまりにも高貴。鮮度がいいからか、極上のまぐろだからか、血なまぐささはまったく感じられず、キレのよいカビチェーラとも抜群の相性を見せてくれました。


鮪好きが泣いて喜ぶ、かまとろの炙り。
前述の2品は、肉自体には脂のない部位でしたが、ここからは脂を伴う、さらなる鮪の醍醐味に乞うご期待。かま下に位置する、「かまとろ」という部位は、最高に脂がのっていて美味。しかし、そのまま寿司に握るにはやや繊維が強すぎる。そこで、直火で炙るのが最高の贅沢となるわけです。今回はさくどりしたかまとろを1.5cm厚さに切り、半分には多めの黒こしょうと、たっぷりの塩をふり、残りは焼き物のたれにさっと漬けて照り焼きに。写真の右側が塩焼き、左が照り焼きです。塩焼きの香ばしい焼きめ、箸でつかもうとすると、ほろりと崩れてしまうほどに柔い。照り焼きはといえば、口に含めば、とろりと脂の甘みで満たされ、たっぷりのわさびすら甘く感じられるほど。もうありえないというおいしさです。照り焼きも漬け方が浅いのでほのかな甘みが品よく、大根おろしもいなせです。

至福の一杯を選ぶなら…


かまとろをすきやきにする贅沢
晩秋のご馳走、牛肉と松茸のすきやきから思いついたという、「鮪ときのこ類のすきやき」。これがまた絶品でした。すきやきの地は、醤油:酒:みりん=1:2:0.5を合わせたもの。これに、かまの筋っぽいところをぶつ切りにしたものを入れ、しばらく煮立ててだしをとります。そこへざく切りにしたエリンギ、椎茸、えのきなどのきのこ類をたっぷり入れ、さらにその上から、ざく切りにした下仁田ねぎ、白菜をどんっ。野菜が軟らかく煮えたら器に盛り、最後に極上のかまとろの薄切りをさっとくぐらせる。ほのかに甘辛く煮えた鮪に、卵をつけていただけば、牛肉を上回る上品なすきやき。鮪の旨みもさることながら、素材の滋味がたっぷり出たすきやき地の品のいいおいしさに、いつものことながら脱帽です。


中落ちのづけの握り
いよいよ珠玉の握りが登場します。まずは、江戸前握りの雄というべき「づけ」。づけといえば赤身と相場が決まっていますが、今日のづけは、赤身の中の赤身、中落ちのづけです。醤油地に赤ワインを加えて漬け込むのが、寿司幸のスペシャリテですが、赤ワインといってもそこらのものではなく、その時に合わせている極上の一杯を加えるのが杉山さんのならではのこだわり。

至福の一杯を選ぶなら…


銀座寿司幸本店、最高級のねたとは
ここまで贅沢をしていいのかと思いながらがらも、まだまだ、鮪攻めは続きます。続いて登場したのが、千両役者とでもいうべき、寿司幸の中でも最も高価なねた「はがし」です。通常、大とろを頼むと、蛇腹の部分が出されます。脂ののっている証として蛇腹は珍重されますが、その筋が気にならないかというとちょっと嘘になりますね。銀座寿司幸本店では、筋の部分をはがすように、斜めにそぎ切りにして握ります。通称“はがし”。1貫2,500円なり。すっきりと品のいいしゃりとわさびの香気を伴いながら、文字通り口の中でとろける極上の一貫。ぶつぶつと厚切りにする醍醐味もありますが、「こちらの方がソフィスティケイトされている」という杉山さんの言葉通り、繊細な味わいです。
こんなに鮪づくしのさなかにいただいても、ああ幸せ!と思うのですから、いかに上質のまぐろであるかがわるでしょう。繊細さゆえ、寿司幸のレギュラー・ワイン、ブルゴーニュの「ボーヌ・ブレッサン」の深く優しい味わいにもスムーズにマッチします。
そしてはがした筋(膜)を直火であぶり、香ばしい焦げ目をつけ、わけぎをのせた、おまけの一貫。余分な脂が落ちて薫り高く、これまた、旨いの一言。たっぷりのわさびと醤油でいただけば、極上の松阪牛もかないません。


すき身にわけぎを叩き込んだねぎとろ
握りの締めはねぎとろで、と決めている人も多いことでしょう。今回の締めとなるねぎとろは、かまやえらの間に残った、脂みたっぷりの身をスプーンでていねいに集めた「すき身」にわけぎの小口切りたたきこんだ、手のかかった逸品。これだけの最高の鮪であれば、肉の一片にいたるまで、旨みに満ちています。まさに捨てるところなし。宴の間じゅう、ずっと骨の間から身をかき出していたスタッフの、鮪に敬意を払う丁寧な仕事ぶりには頭が下がりました。その甲斐あってのとろけるようなおいしさは、締めにふさわしい巻物です。


締めの〆は江戸の味、ねぎま汁で。
これ以上はもういただけないというほどの満腹を、最後に癒してくれたのが、きりっと江戸情緒漂うねぎま汁でした。まず昆布と削り節でだしをとるのですが、実はこの削り節がみそ。鰹節ではなく、鮪節なのです。鰹節より色も浅く、さっぱりとしただしがとれるのが特徴です。ねぎはこんがりと焼いて焼き葱に。ここで、先ほどきれいに中落ちをかきとった骨が再登場。骨と骨の間の軟骨を切り分け、湯通ししてから、だしの中へ加えて、旨みを煮出します。背骨は節の間で切り分け、中に入っているとろとろの骨髄が流れないように、立てたままひたひたの熱湯の中で5分ほど煮、臭みを取ります。この骨髄と、筋っぽいかまの部分を汁に加え、焼き葱のぶつ切りと椎茸の薄切りも加えてさっと煮、醤油と酢でキリリと調えれば、特製ねぎま汁のできあがり。二回り以上小さくなった骨髄が、つるりと口の中でとろけ、お肌にもいいこと間違いなし。醤油がややかった熱々のスープをふうふうといただきながら、江戸の旨みを味わいつくした充実感にひしひしと満たされるのでした。



小松宏子


writer's eyes

 今回は、食べ手の側に鮪屋さんも参加してくださいました。「寿司幸さんの鮪の難しいのは、オーダー時に値段を言わないところです。値段ではなく、とにかく一番いい鮪を持ってこい、と。だから鮪屋のプライドにかけて、築地中で一番いい鮪を探すんです」というわけで、今日いただいたのは、まぎれもなく、築地で一番の鮪。ところで、せりの状態ではどうやって、まぐろの良し悪しを見分けるのですかと、素朴な疑問をぶつけてみました。すると「確かにせりのときには鮪の中を切ってみることはできません。中には触ってみる人もいますが。一番大切なのは姿形。精悍な顔つきや締まった体型。そして表皮の色、黒っぽいのよりも白っぽく、ややピンクがかったのが、肉質も柔らかく、ほどよく脂がのって美味ですね」とのお話でした。長年の経験に培われた勘とはいえ、何百万円という品物を見定めていくのですから、目利きというのはたいしたものですね。それにしても、鮪においても美形で色白が高値だとは、どこの世界も変わらず?あれだけの鮪をいただけば、ビタミン、ミネラル、そして含有量なら、素材の中で一番多いというDHAも、たっぷり何日分も摂取できたはず。美肌作りにも役立ったに違いありません。



■取材協力/ 銀座寿司幸本店 主人 杉山 衛さん
  明治18年銀座に創業した、老舗寿司店の四代目。
古い仕事を守ると同時に、ワインと寿司のマリアージュなど、新しい時代の風を取り入れることにも熱心。
魚を見る目や扱いにかけてはもちろん、歴史やうんちく、栄養的な情報まで、幅広い知識を持つ。

2002年10月、丸ビルにも店舗を構え、若い女性の寿司幸ファンを増やしている。
(丸ビル店 03-3240-1908)



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