2006.2.8号




 第十七話 アラ


幻の高級魚といわれる「アラ」という魚。成長すると体調1m、体重20kgは超え、ハタ科の仲間の中でも最高級とされる巨大魚です。幻というのは、漁獲量が少ないため。高値で取引されるのも頷けます。「アラ」という呼び名は、主産地・九州地方のもの。九州ではふぐちりよりも「アラ鍋」の方がおいしいと珍重されるほどだとか。また、本州和歌山あたりでは「クエ」と称されます。“一度食ったら、ほかの魚はクエん”というところからの名。「煮ても焼いてもクエるどころか、刺身も握りも、とにかくどうやって食べてもおいしい」と銀座寿司幸本店の杉山さん。はたして今回は、どんなバリエーションが飛び出すことでしょうか・・・。
寿司幸本店



アラを買いに、いざ築地へ

2006年初めの銀座寿司幸「魚&肴」。お題は幻の魚とも言われる“アラ”に決まったものの、銀座寿司幸主人・杉山さんでさえ、アラは普段は門外漢。友人の紹介を受けて、30kg超もあると言われるアラを小分けにして買える築地の卸売り店へいざ、出陣!アラの全貌にお目にかかれる貴重な機会と、お供しました。
向かった先は「飯田水産」。フグやハタなど、九州方面からの魚を専門に扱う店です。店頭には、対馬からという巨大なアラが鎮座。そのほかに、小分けにして真空パックされているものや、半身の状態も用意されています。1月11日の相場で2,2万円/kg。しかも、頭から尾の先まで同じ値段。よって、2kg以上ある巨大な頭はそれだけ5万円近く。「高価なのは周知のこと。でも、ここまでとは思っていなかった」と杉山さん。あれこれ悩んだ末、カマ下あたりを8kgほど、それと頭を購入。
 飯田水産に尋ねたところ、九州で「アラ」と呼ばれるこの魚はハタ科の魚だそう。ハタ科の魚は真ハタ、ねずみハタなど数あれど、いずれも品のいい白身のおいしさで知られる高級魚です。中でも王様のアラ。味のよさもさることながら、幻といわれるほど漁獲量が少ないのが、高値の所以。また、このハタ科のアラが紀州・和歌山あたりに上がってくると、クエと呼ばれるようになります。しかし、紀州で本アラと呼ばれる魚は九州のアラとは異なり、スズキ科の魚です。と、何とも複雑ですが、飯田水産曰く、「対馬のアラが一番美味しい」ということです。

至福の一杯を選ぶなら…


昆布締めの握りで開演
二日の間にしっかりと仕事が施されたアラは、いよいよ1月13日21:00の開演を待つばかり。
さて、まず供されたのが、アラの昆布締めの握りです。昆布の旨みを含んでほのかにあめ色になった身は、シャクシャクと口の中で音がするほどの歯ごたえ。噛み締めるほどにアラの旨みと昆布の旨みが一体になって口中にあふれます。こうした大きい魚は、柵どりして昆布にはさむだけでは充分に風味が移らないので、薄切りにして昆布の上に並べ、もう1枚の昆布をぴっちりとかぶせます。だから、5時間締めただけでも旨みは充分。
けれど、それも昆布が上質ゆえの話。役目を終えた見事な昆布を見て、思わず「その昆布、捨てちゃうんですか?」の質問が。すると「まかないで食べるんですよ。刻んで、糸こんにゃくと炒めたりとか」とは、寿司幸のスタッフから。なんともおいしそうです。そう、見習うべきは、腕のない素人は上等な昆布を買えということ。お店屋さんで惜しげもなく最高級の昆布を使うのは経費のかかることですが、家庭では、どんなに贅沢に使ったところで、消費量は知れています。料理の腕を上げようと思えば、一番の近道かもしれません。



アラのトリュフ蒸し
続いて取り出したのは、漆黒の塊。なんと、黒トリュフです。1cm弱の厚さに切って薄く塩を当てたアラの上に、京人参の薄切り、そして贅沢にも同じくらいの大きさにスライスしたトリュフを重ね、日本酒と醤油少々を回しかけます。シュンシュンと湯気の上がった蒸し器に入れて10分弱。取り出した熱々の小鉢は、高貴な香りを放っています。矢も盾もたまらず口に含んで驚くのが、アラの旨みとトリュフの旨みの相性のよさ。香りのご馳走であることはもちろんですが、同時にトリュフがキノコの一種であり、旨みのもとであることがよくわかるのです。単にアラに香りがプラスされるだけではなく、内包された旨みが何倍にも弾ける、そんな感じでした。高貴な白ワインRIBOが両者の取り合わせを一層引き立ててくれたことはいうまでもありあません。


見ごとな色艶が食欲をそそる照り焼き
お次は照り焼き。蒸し物より気持ち厚めに切ったアラの切り身を、酒、醤油、みりんを濃い目に合わせて水で割ったたれに、バルサミコ酢を加えて漬け込むこと20分。バルサミコの品のいい甘酸っぱさが加わったたれは、いつもの焼きだれにも増してキレがよく、秀逸。今回、杉山さんが使用したのは、5年ものから30年ものまでがセットになった、超高級バルサミコのシリーズ。漬け込むたれには5年ものと7年ものをブレンドして使用。網の上で炙り焼くときに、より熟成した甘みとコクが強くなった15年ものをひと刷毛。ぐっと風味が増しました。
色よく焼き上がったアラにキャベツのせん切りを添えて盛り付けられた様子は、豚肉のしょうが焼きと見まがう(失礼!)ほどの照りと質感。口に含んでも、魚とは思えぬしっかりした歯ごたえとボリューム感に驚かされます。ほどよい甘辛さの中に、バルサミコの酸味が加わって、あと味すっきりと品のいいおいしさに仕上がっています。こんな粋な料理には、珍しい造りのロゼ「MOLMENTI」がぴったり。ほどよい酸味とほのかにスパイシーな香りが見事なマリアージュを見せてくれました。


丸ごと頭のかぶと煮
そしていよいよ、本邦初公開のアラのかぶと煮。これがまた度肝を抜かれる品でした。「実はね、どうやってやってもアラの頭に包丁の刃が入らない。鮪の頭なんてもんじゃないほど固いんですよ。電動のこぎりでもないと……。だから、丸のまま煮て取り分けることにしました」と杉山さん。さっとゆがいたかまを、酒、醤油、みりんを2:1:1で合わせ、水で割った煮汁を沸かした中に入れ、ことことと煮ます。途中ごぼうのぶつ切りを加え、小1時間煮たのが写真の状態です。刃が立たなかった頭も、1時間煮たあとの身はとろけるよう。
ゼラチン質を豊富に含んだ身は、白身にありがちなパサつきはまったくなく、それどころか、充分に旨みを含んだ肉質はしっとり、プリッ。そして、トゥルトゥルに煮上がったゼラチン質たっぷりの、というかゼラチンそのままの皮のおいしさときたら、ああ、明日の朝のお肌が楽しみ!貴重な部位である唇が奪い合いになったことはいうまでもありません。煮る前のアラの顔をもう一度、とくとご覧ください。厚さ3cmはあろうかという、むっちりとした唇。果たして、その味わいは? ごく柔らかな軟骨といいましょうか……。貴重な機会に感謝しつつ、その微妙な食感を噛み締めました。出合いもののごぼうも充分に旨みを含み、亀甲に向いて揚げたあとに、煮汁にくぐらせた海老芋のつけ合わせがまた秀逸。幸せなかぶと煮でした。


鍋の王道、あらちゃんこ
そしていよいよ、アラといえばの「鍋」の登場です。ふたかかえもあるような大きな鍋にアラのだしを入れ、ひと口大のぶつ切りにした身の部分をどっさりと入れ、白菜、椎茸、春菊、長ねぎなど、鍋に向く野菜をどんどん切って、鍋の上に盛り上がるほどにたっぷり入れて煮ていきます。「まるでちゃんこ鍋のようですね」と言うと、「毎年九州場所は部屋に応援に行くんです。そのときのちゃんこはもちろん“アラ”。今回は、そのちゃんこを思い浮かべて作ってみました。実際にはこの3倍くらいある鍋で、味もつけて豪快に煮ちゃうんですけどね」と杉山さん。
いよいよ“寿司幸部屋特製ちゃんこ”のできあがり。一口スープを飲んでその旨みに感動です。「魚&肴」のテーマの一つが頭やあらでスープをとること。鯛しかり、鰤しかり…、どれも身体の芯までしみわたるようなおいしさでした。ところが、このアラのスープは今までのどんな魚よりも魚臭さがなく、上質な鶏のスープを思わせるようにコクがあり、滋味に満ちています。身は、どこかフグのようでありながら、フグの上を行くといったらよいのか、力強い旨みが身の繊維の間からほとばしり出てきます。まさに力士のちゃんこの名にふさわしい王道の味わいといえましょう。ポン酢でいただくこの鍋には、マッティア・ヴェッツォーラの中でも、ことのほか魚介類に合うというすっきりと爽やかな白「COSTALIPA」に戻って合わせると、これが抜群の相性でした。
どの品も驚きのある美味しさに満ち、一品ごとにこれ以上はないだろうと思いながら鍋に行き着くと、今度はシンプルな鍋ほど美味しいものはないと感じさせるのですから、アラの力量はたいしたものだと唸らざるを得ません。もちろん旨みを引き出すべく、確かな調理を施している杉山さんの腕と創造力あってこその美味ではありますが。


フィナーレは粕汁
一同、鍋の締めはうどんがいいか、雑炊がいいか、いやいやラーメンだ、などと外野で盛り上がっている時に、着々と杉山さんが準備を進めていたフィナーレは、誰一人、予想だにしない粕汁でした。伏見の清酒・月桂冠の酒粕を湯でゆるくのばし、鍋の残りに溶き入れ、田舎味噌、塩、醤油少々で味を調えます。別の鍋で短冊に切った人参と大根を煮たものを足し、最後に水菜も加え、味を調えてできあがり。器によそい、柚子皮と一味唐辛子をぱらり。脳の奥深くに響くような、この深い香りと滋味をなんと表現したらよいのでしょうか。濃厚な酒粕の風味の中でもあらの旨みがしっかり個性を主張しながら、高い次元で一つに昇華し、柚子の香りと一味唐辛子の刺激を伴うことで、軽やかに…。もうやられた、鍋のさらに上をいく深い味があるのかと、降参です。そんな忘れ得ない余韻を残しながら、幸せな宴の終焉を迎えたのでありました。


小松宏子


writer's eyes

 東京出身の私にとって、「アラ」は身近な存在ではありませんでした。「アラ」の存在を知ったのでさえ、そんな昔のことではありません。もちろん、全貌を目にするのはこれが初めて。一般に大きな魚は大味という認識があるなか、こんなにも繊細で深い旨みをたたえた魚があるということを知ることができた、貴重な体験となりました。
ものの本によれば、アラは昔から傷や打撲などに薬効があるとされ、そのため、激しい土俵上でのぶつかりあいで生傷がたえない力士の栄養源としては最適。相撲部屋でのちゃんこ鍋はまさに必然から生まれたもののようです。「アラ」という名前の語源は、一般には荒々しい習性と風貌によるものとされています。
1尾釣り上げれば、何日間も人々の空腹を満たし、力となり、傷まで直す。古代の人々は、そんなアラを与えてくれた海の神様に、どんなにか深く感謝したことでしょう。



■取材協力/ 銀座寿司幸本店 主人 杉山 衛さん
  明治18年銀座に創業した、老舗寿司店の四代目。
古い仕事を守ると同時に、ワインと寿司のマリアージュなど、新しい時代の風を取り入れることにも熱心。
魚を見る目や扱いにかけてはもちろん、歴史やうんちく、栄養的な情報まで、幅広い知識を持つ。

2002年10月、丸ビルにも店舗を構え、若い女性の寿司幸ファンを増やしている。
(丸ビル店 03-3240-1908)



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